目次
江戸と望遠鏡
望遠鏡はいつ頃、日本に伝わったのでしょうか。その頃の形状は今とは異なっていたのでしょうか。値段はどのくらいだったのでしょうか。
また、現代での手作り望遠鏡のご紹介もしてみます。
いつ伝わったのか?
江戸時代に望遠鏡が日本に初めて紹介されたのは、17世紀初頭とされています。オランダ船によって持ち込まれ、当初は幕府関係者や一部の知識人の間で珍重されました。
どんな形状で、いくらくらい。
こんな形状。

竹で作られた釣竿を引き出すような感じで、伸ばします。ピントも伸ばす途中で対処物に合わせて調節します。
値段は、わかりませんでした。想像するに、日本にやってきた船には複数装備されていただろう。ということを考えると、江戸時代では100両。500万はしなかったのではないでしょうか。
値段は、わかりませんでした。想像するに、日本にやってきた船には複数装備されていただろう。ということを考えると、江戸時代では100両。500万はしなかったのではないでしょうか。
普及したのはいつ頃から
日本で、本格的に普及し始めたのは18世紀後半から19世紀にかけてです。
特に、岩橋善兵衛が国産の望遠鏡を製作し、広く販売したことが大きな転機となりました。
岩橋善兵衛の望遠鏡は、性能も高く、庶民にも手が届く価格だったため、天体観測が広く一般に広まるきっかけとなりました。
伊能忠敬:
伊能忠敬は、善兵衛の望遠鏡を使用し測量を行い、正確な日本地図を製作しました。
岩橋善兵衛の望遠鏡の性能
高品質なレンズ: 善兵衛は、独自の技術で高品質なレンズを製作しました。これにより、彼の望遠鏡は高い解像度と倍率を誇り、当時の天体観測において非常に重宝されました。
多様な設計: 善兵衛は、様々な種類の望遠鏡を製作しました。天体観測用の大型望遠鏡から、携帯用の小型望遠鏡まで、用途に合わせて設計を工夫していました。
構造:主に屈折式望遠鏡でした。これは、レンズの組み合わせによって光を集め、拡大する仕組みです。筒は、紙を何層にも重ねて漆を塗った一閑張り(いっかんばり)と呼ばれる手法で作られることが多く、軽量で丈夫な構造でした。
ピントを合わせるには、長さを調節してピントを合わせます。
性能: 性能も様々でしたが、当時の技術水準から考えると、かなり高度なものが作られていました。月のクレーターや木星の縞模様を観察できるものもあり、天文学の発展に大きく貢献しました。
国産化: 善兵衛の最大の功績は、望遠鏡の製造を日本国内で行ったことです。それまで、望遠鏡は海外から輸入される高価なものでしたが、善兵衛は国産化することで、より多くの人々が天体観測を楽しめるようにしました。
岩橋善兵衛を知る
岩橋善兵衛は、1756年、現在の大阪府貝塚市で生まれました。
善兵衛の生誕地である大阪府貝塚市には、彼の業績を記念した博物館があります。
貝塚市立善兵衛ランド:
https://www.city.kaizuka.lg.jp/zenbe/about/iwahashizenbeetobouenkyou.html
お近くの方は行ってみてください。
お近くの方は行ってみてください。
手作り望遠鏡
子供の頃、雑誌に広告「筒状の段ボールとレンズとアイピースで作る望遠鏡」があり、作ったことがあります。
6cm の屈折式望遠鏡だった。筒状の段ボールはかなり丈夫にできていて、周りを白く塗られていて一見すると本物の望遠鏡のようでした。友達がくると、「あ!望遠鏡かったの?」と言われていたなぁ。
台座も木製で付いてきて、経緯台とは呼べないものだったけど、木星のリングがぼんやり見えて
感動したことを思い出します。
今だと、こんなキットがありますね。
https://item.rakuten.co.jp/loupe-studio/atc-03820/
では、また。
