江戸時代、時計というものは一般的ではありませんでした。では、どのように時間を知っていたのでしょうか。
江戸時代、1時間は季節によって長さが異なっていた
江戸時代は、時刻を表す時に不定時法というものを採用していました。
どのようなものかというと、「日の出」と「日の入り」の時刻を6等分します。
昼間も6等分、夜も6等分です。
具体的には、日の出を『明け六つ』、日の入りを『暮れ六つ』と呼びました。
そしてこの『明け六つ』から『暮れ六つ』までの間を六等分して、その一つを「一刻(いっとき)」と定めました。簡易的に春分の日/秋分の日であれば、昼間が12時間ですので、1刻=2時間というところでしょうか。
ただし、夏は日の出が早く、日の入りが遅いので、1刻(いっとき)も長い。時間が経つのが遅いと思うでしょう。冬はその逆で、時間が経つのが早いでしょうね。
また、当時の夜の明かりは、油を使用していました。その油は当時は高価であったため、日の出と共に起き、日の入りと共に就寝する生活でした。
参考:
2003年に米一石(150Kg)は、7万5000円に対して、油(32リットル)は6000円で、価格比8%。
1830年(天保1年)では、1.29両に対して、0.96両で、価格比 74.6%。
米に対して油は高いから、寝よう。というのは普通だったのでしょう。
時の鐘
時刻はどのように知るのでしょうか。江戸時代は各家庭に時計などなく、時を知るには街に響く鐘の音を頼りにしていました。
今も、東京の上野公園に江戸時代に時刻を知らせていた「時の鐘」が残されています。
毎日朝6時、正午、晩6時に鳴ります。
このようなものです。(youtube動画)2024年2月12日撮影。
時の鐘は江戸城を取り囲むように9か所(時代によって設置場所と個数に変化がありましたが)に設置されていました。
鳴らす順番は、
1.本石町 2.上野寛永寺 3.市ヶ谷八幡
4.赤坂田町成満寺 5.芝増上寺 6.目白不動尊
7.浅草寺 8.本所横堀 9.四谷天龍寺
円を描くように鳴らせばよいと思うのですが、なぜこのように鳴らしていたのでしょうか。
高低差で色分けしてみます。
| # | 場所 | 標高 | 備考 |
| 1. | 本石町 | 4.5m | 現在は日本橋小伝馬町。 |
| 2 | 上野寛永寺 | 14m | 上野の寛永寺が江戸城の鬼門鎮護。 |
| 3 | 市ヶ谷八幡 | 28.7m | 新長谷寺に置かれていました。昭和24年にお寺は廃寺。 |
| 4 | 赤坂田町成満寺 | 30m | 標高は不明。現在は、聖蹟桜ヶ丘に移転。 |
| 6 | 芝増上寺 | 20m | 芝切通の坂口西側、青龍寺と青松寺に 隣りあう丘の上に置かれていました。 |
| 6 | 目白不動尊 | 44.6 | 山手線内で最も標高が高い。 |
| 7 | 浅草寺 | 5m | 弁天山浅草、浅草寺の弁天山(階段15段)にある弁天堂にあります。 今も鐘はあります。 |
| 8 | 本所横堀 | 1m | 現在の墨田区緑4丁目22番。説明文があります。 |
| 9 | 四谷天龍寺 | 30m | 裏鬼門鎮護の役割。 現在の場所と異なり、かつては牛込にあった。時の鐘の梵鐘は除夜の鐘で鳴らされている。 |
これで、江戸の大部分は網羅されようです。
江戸時代の江戸市中というのは、本当に小さなエリアだったことが分かります。
時計
現在の私たちも、不定時法を体験できる時計がありました。面白いですね。「いま、なん時か?」が分かります。
https://www.1no1.jp/contents/site/dispgoodsdetail.php?goods=1002090
それでは、また。
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