江戸時代になんとミイラを輸入していたそうです。輸出もしていたともあります。どういうことなのでしょう。
また、輸入していたのは、あのエジプトのミイラなのでしょうか。
ミイラは万能薬として輸入されていた
江戸時代の珍しい輸入品としてミイラがある。関西大学の宮下三郎教授によれば、寛文十三年(一六七三)、オランダ船が約六十体のエジプトのミイラを持ち込んで売り払った記録が残っているという。記録に残っていないものを含めたら、江戸時代に相当多くのミイラが日本に入ってきたのは間違いない。
https://president.jp/articles/-/34062?page=2
確かに輸入されていました。
もっとも、ミイラが輸入されたのは、展示して見物させることが目的ではなく、薬として。
買い取ったのは薬屋や医師たちでした。そう、ミイラは薬として珍重されていたようです。

ミイラの効用
では、ミイラは具体的には何に効くのでしょうか。
日本史の教科書にも登場する貝原益軒(現代で言う薬学者)の『大和本草』(1709年刊)には効用としての記載があります。
- 打ち身や骨折箇所に塗る。
- 虚弱や貧血に桐の実の大きさに丸めたミイラの丸薬を一日一、二度ほどお湯で服用する。
- 産後の出血、刀傷、吐血、下血のさいに服用する。
- 気疲れ、胸痛、痰があるときは、酒や湯と一緒に飲む。
- しゃくり胸痛も同様。
- 虫歯には患部の穴に蜜を加えてミイラをつける。
- 頭痛、めまいは湯とともに服用。
- 毒虫や獣に咬まれたときは粉末にして油を加えて塗る。
- 妊婦が転んで気を失ったときは、ミイラを火で炙って、そのにおいをかがせるとよい。
- 痘疹が出たときは、身体を温めてから服用する。
- 食あたりはお湯で、二日酔いは冷水で服用する。
つまり、何にでも利く万能薬だったようです。
ただ、次のような記載もあります。
「元来人間であったものを人間が薬用であるにせよ用いる事は、仁礼の道に反し君子の忍び難き事である。」
根拠
根拠もあるようで、エジプトのミイラには腐敗を防ぐために防腐剤が塗られていて、その主成分はプロポリスでした。プロポリスはミツバチの巣からわずかしか採取できない有機物質です。現代でも健康食品として通販のテレビCMでも売られていますね。
価格は
かなり高価で、金銀と交換とのことです。庶民が手に入れられる金額ではなかったのでしょう。
ミイラを漢字で書く
ミイラを漢字で書くと「木乃伊」と書きます。なぜ、これでミイラと読むのでしょうか。当て字なのでしょうか。
「キノイ」としか読めないですよね。調べると。。
14世紀の後半に陶宗儀(とうそうぎ)という人が書いた『輟耕録』(てっこうろく)とい本に、ミイラの詳しい作り方(?)が出ていて、その末尾に「異民族の言葉で木乃伊と言う」とあります。現代の中国共通語では、「木乃伊」はムナイイのような発音になりますから、当て字としてはちょっと遠いような気もしますが、陶宗儀という人は南方の人だったようですから、あるいは中国南部の方言音では、ぴったりくるのかもしれません。
https://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0127/
日本では、中国の読み方のミイラが定着したのですね。
英語だと、Mummy(マミー)と呼びますね。
ミイラを輸出
ミイラの輸入だけではなく、江戸の商人は自らミイラを作り輸出もしていました。
作り方:
基本は、複数の動物をつなぎあわせ、その後に日干しして作成します。
- 人魚のミイラ:ニホンザルとコイなどを加工。
- 河童のミイラ:ニホンザル、エイなどを加工。
なるほどですね。すると日本に入ってきたミイラも偽物の可能性が高いですね。
海外に残る日本のミイラ
オランダ・ライデン国立民族学博物館には、シーボルトが持ち帰った日本のミイラがあります。シーボルトは日本の民族学的価値のあるものを蒐集の対象としていたため、オランダで博物館に収納されました。この美術館も現在、デジタルアーカイブが進んでいますが、絵画は閲覧できるようですが、展示物は見つかりませんでした。
オランダ・ライデン国立民族学博物館
https://leiden.wereldmuseum.nl/nl/zoeken?keys=japan&f%5B0%5D=language%3Anl
また、日本でも祭りの見世物小屋で「人魚」などが見世物にもなっていました。江戸っ子は本物と思ったか、洒落と思ったかはわかりません。

参考図書
ミイラに関する箇所がある以下の書籍が面白いです。
河合敦『禁断の江戸史~教科書には載らない江戸の事件簿~』(扶桑社)
畠中恵『しゃばけ』(新潮文庫):「主人公の家は薬問屋でミイラを仕入れると。。」
では、また。

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