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江戸名所図会から見る「神田」- 今川橋 –

今川橋(全景)

江戸時代を知る資料として評価の高い、『江戸名所図会」から当時の神田界隈を見てみます。まず、江戸名所図会とは何か。Wikipedia を引用します。

江戸時代後期の天保年間に書かれた江戸の地誌。武蔵、江戸の由来、日本橋から、各所の寺社、旧跡、橋、坂などの名所について記しており、近郊の武蔵野、川崎、大宮、船橋などにも筆が及んでいる。考証の確かさと、当時の景観や風俗を伝える雪旦の挿図が高く評価されており、江戸の町についての一級資料になっている。

Wikipedia より

補足:天保年間とは1831年から1845年までの期間です。江戸時代の三大飢饉のひとつ天保の大飢饉がありました。それにともない、全国的な凶作による米価・物価高騰による百姓一揆や都市への避難民流入による打ち壊しなどが起きています。
将軍は、11代徳川家斉、12代徳川家慶の治世。

今川橋(いまがわばし)(江戸名所図会一巻より)

最初は全景からみてみます。
今の東京都千代田区今川橋は、川も埋められ橋もなく、後世に作成した石碑だけがあります。

今川橋(全景)
江戸時代は、絵にあるように、文字通り川(神田堀)に橋がかかる場所。

図会の左下を拡大して見ると「此のへん瀬戸屋多し」と書かれています。橋のたもとの店に瀬戸物の瓶(かめ)が重なって置いてあります。また、船にも瓶が積まれているのも見て取れます。江戸時代は、物資を運ぶ際には江戸中に張り巡らされた堀を使っていました。
今川橋

↓右側の部分を拡大してみます。

今川橋
店先の様子と、2匹の犬、棒手振り(行商)が3人で魚を売り歩いているのが見えます。左側の棒手振りに声をかけている様子がみて取れます。右の棒手振りのカゴには魚の尻尾が見えますね。

今川焼き
この橋の付近で小麦粉にアンコをいれて焼いた円盤状の食べ物が売られていました。これを今川焼きと言います。
大きさは、今と異なり一口で食べられるサイズで、2つで4文。蕎麦が16文(400円)とすると、100円くらいでしょうか。
*江戸時代初期は砂糖は高価でしたが、江戸時代後期には庶民が手にできるようになりました。*

参考図書

「江戸名所図会を読む」川田壽 東京堂出版

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この記事を書いた人

江戸時代のおもろしい出来事や、今も東京に残る名所・名物などを書いてゆきます。また、電車+徒歩でのウォーキングや、自転車であちこちを廻ります。加えて、落語も好きです。落語は、江戸の長屋のおもしろ可笑しい暮らしが分かって楽しいですよね。

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