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江戸の暦
今年も年の瀬が近づいてきました。
本屋さんや文房具店では来年のカレンダー・手帳の売り場の面積が広くなってきました。
江戸時代の庶民は、カレンダーをどのように入手していたのでしょうか。
江戸時代のカレンダー(暦 こよみ)
江戸時代は、カレンダーを暦(こよみ)と呼んでいました。
現代と江戸時代(明治維新の前まで)は、決定的に異なることがありました。
- 暦は暦売(こよみうり)が売り歩いて販売していました。
- 一年は365日ではありませんでした。
- 年によって大の月、小の月が変わります。
- 一年が13ヶ月の年もありました。
一つづつ見ていきましょう。
暦は暦売(こよみうり)が売り歩いて販売していました。
暦売と呼ばれる人が売り歩いていました。
京坂では「大小柱(はしら)暦、巻(まき)暦」、江戸では「来年の大小柱暦、綴(とじ)暦」と呼び声をあげて売り歩いたとされています。
大小柱(はしら)暦とは、柱や壁などに張って、見るのに便利にした一枚刷りの略暦をいう。
柱暦は各地の暦師のうち、幕府から公認された京都の大経師、江戸暦問屋、南都暦師のうち2人だけに出版が許可されていました。
巻(まき)暦とは、長巻の紙を筒に巻き付けたような形の暦です。高級なものは絹や和紙が使われることもありました。
綴(とじ)暦とは、現代のカレンダーのように、複数の紙を綴じて冊子状にしたものでした。
大小暦: 江戸時代には、大の月と小の月を絵や文字で表した「大小暦」と呼ばれるものもありました。
また、地域により、様々な暦が作られていました。
例えば、伊勢暦、京暦、江戸暦、会津暦などがあります。
人々は自分に合った暦を選びたがったため、暦売の需要が高まりました。
・暦売が行われた理由
1. 暦の重要性: 江戸時代の人々にとって、暦は農作業や年中行事を計画する上で欠かせないものでした。
今も農作業に暦は欠かせません。
1. 情報伝達の手段: 暦には、吉日や凶日、歳徳神など、日常生活に役立つ情報が記載されていたため、暦売は一種の情報伝達の役割も担っていました。
・暦の値段:
暦の値段はどのくらいだったのでしょうか。
暦の値段は、内容や豪華さによって異なり、また庶民から武士まで幅広い層が購入していました。
安いものは庶民が気軽に購入できるような値段だったそうです。一日の労働賃金で数枚購入できる値段と言われています。
浮世絵1枚の値段と同じくらいとすると、数百円から1,000円程度で買うことができたと考えることができるのではないでしょうか。今と大きくは差がないのではと思います。
暦は最後には、紙のリサイクルとして回収されるか、煮炊きするときの燃料として使われました。
江戸時代は、年によって大の月、小の月が変わる。
暦には大きく分けて3つの暦があります。
- 月の満ち欠けのみで日数を数える「太陰暦」
- 月の満ち欠けに沿った日付と太陽の運行を組み合わせた「太陰太陽暦」※明治維新まで使われていたもの。
- 太陽の運行に沿って日数を数える「太陽暦」※現在のグレゴリオ暦
当時は、現代で使用されている太陽暦ではなく、太陰太陽暦が使われていました。太陽に対して、太陰とは月を指します。
太陰太陽暦は、日本において古くから使われてきた伝統的な暦法でした。
*日本書紀によると、推古天皇12年(604年)に百済から暦法が伝わり、日本最初の暦が作られたとされています。
元は、中国で元嘉10年(442年)から行われた元嘉暦であったとされています。
*ヨーロッパでは、ローマ時代のシーザーによるユリウス暦により太陽暦が採用され、中世にグレゴリオ暦に変わりましたが基本は太陽暦で現代まで使われています。
毎年、次の年の暦を計算して決定するので大小の月の並び方も毎年替わりました。
毎年、月の大小の並び方、あるいは閏月を知ることは人々にとって非常に重要なことでした。
農業では:月の満ち欠けと密接な関係があり、太陰太陽暦は農作業の目安として広く利用されていました。
商店では:月末に支払いや代金の取り立てをする商店では間違えないように「大」と「小」の看板を作り店頭に掛けていました。
当時の、大の月(写真左)と小の月(写真右)の看板はこのようなものでした。
(今月は大の月だよと知らせる時は、左を見えるようにしておく)


江戸時代は、一年は365日ではありません。(366日でもない)
江戸時代の1年は、現代のように365日(閏年は366日)ではありませんでした。
江戸時代には、太陰太陽暦という、月の満ち欠けと太陽の動きを基準にした暦が使われていました。
そのため、1ヶ月の長さは月によって異なり、1年は354日~355日と、現代よりも短い年が多かったのです。
「太陰太陽暦」は1ヶ月を天体の月が満ち欠けする周期に合わせます。天体の月が地球をまわる周期は約29.5日なので、30日と29日の長さの月を作って調節し、30日の月を「大の月」、29日の月を「小の月」と呼んでいました。
江戸時代は、13ヶ月の年もある。
このままの大小の月の繰り返しの1年355日では、暦と季節がどんどん合わなくなってきます。
どうすればよいでしょうか。
詳しくみてみます。
地球が太陽のまわりをまわる周期は約365.24日で、季節はそれによって移り変わります。
そのため、2~3年に1度は閏月(うるうづき)を設けて13ヶ月ある年を作り、季節と暦を調節しました。
なぜ?現代の4年に1度ではなく、2〜3年に1度なのでしょうか。
月の満ち欠け(平均朔望月=約29.530 589日)による12か月は約354.3671日。
太陽暦では約365.2422日です。
365.2422-354.3671=10.8751
差し引き約11日ほど短い。
この差を吸収するために、11×3 = 33日つまり3年間で1か月分ほどになります。
13ヶ月ある年を「閏年(うるうどし)」と呼びます。
増えた月は「閏月(うるうづき)」呼びます。
どこに閏月をいれるかは、季節との差が大きくなるところに入れるため、決まっていませんでした。
現在の太陽暦では必ず2月に入れていますね。
途中に挿入された閏月をなんと呼ぶの?
追加した前月の前の月の名に、閏を付けて呼んでいました。
3月の後に追加した場合は、閏3月のように呼びます。
元禄時代の暦を見てみると。
1689年(元禄2年) 大の月:1,2,5,7,9,10,11 小の月:閏1,3,4,6,8,12
1月の後に閏1月が追加されています。
1691年(元禄4年) 大の月:1,2,4,7,9,10,12 小の月:3,5,6,8,閏8,11
8月に小の月として閏8月として追加されています。
閏年があったことによる影響
農作業: 農業は月の満ち欠けと密接な関係があったため、閏年の有無は農作業の計画に大きな影響を与えました。
年中行事: 節分や端午の節句など、年中行事が暦と結びついていたため、閏年の有無によって行われる時期がずれることもありました。
江戸時代の暦を見る。
最後に当時の暦を見てみましょう
東京上野の国立科学博物館に江戸時代の暦が展示されています。
こちらのリンクをご覧ください。「江戸時代の暦-科学博物館-」
**実際の暦を**
江戸時代には、暦を実際の天体の動きに合わせようと何度も改暦(暦を作り直し)をしています。
現在の暦へ。太陽暦への改暦
日本では明治6年(1873年)に暦は、現在使われている太陽暦(グレゴリオ暦)に切り替えられました。
2025年のカレンダー
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