この記事は、富士山の噴火が江戸時代に与えた影響について解説します。
特に1707年の宝永大噴火に焦点を当て、その歴史的背景や江戸の町への影響を探ります。
富士山の噴火は、自然災害としてだけでなく、社会や経済にも大きな影響を与えました。
富士山の噴火について、令和時代の今、噴火が起きた場合に備えた対策を行う手助けとなることを願っています。
富士山噴火の歴史と江戸時代の影響
富士山は日本の象徴的な存在であり、北斎の浮世絵、山岳信仰の対象として知られ、2013年に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録されました。
江戸時代における富士山の宝永噴火は大規模噴火であり、江戸の町に直接的な影響を及ぼし、当時の人々の生活に大きな変化をもたらしました。
宝永噴火がもたらした影響と教訓
1707年の宝永噴火は、江戸において大きな影響を及ぼしました。
この噴火によって、江戸の町は火山灰に覆われ、生活が困難になりました。
人々は食料不足や健康被害に直面し、社会全体が混乱しました。
このような経験から、江戸時代においても自然災害に対する備えの重要性が再認識されました。
宝永噴火は、単なる自然災害ではなく、社会全体に影響を与える教訓として記憶されています。
宝永噴火は、前年の宝永地震との関係があると言われています。
宝永地震:
1707年10月4日に発生した、推定マグニチュード8.4から9.3の巨大地震。
東海・南海地方を中心に甚大な被害をもたらし、江戸にも強い揺れが届きました。津波も発生し、太平洋沿岸の広範囲で被害が出ました。
この地震による死者は、少なくとも2万人以上と推定されています。
富士山の宝永大噴火:
宝永地震のわずか49日後、1707年11月23日(旧暦)に富士山が噴火しました。
この噴火では大量の火山灰が江戸まで降り注ぎ、農作物に深刻な被害を与え、人々は灰の除去作業に追われました。
幕府は、この復興費用を賄うために「諸国高役金令」を発布し、全国から徴収しました。
1707年の宝永大噴火の詳細
1707年の宝永噴火は、富士山史上最大級の爆発的噴火でした。この噴火によって、それまでなだらかだった南東の山腹に、以下の地形ができました。
宝永山: 噴火で噴出した多量の火山灰やスコリア(火山礫)が火口の横に降り積もり、標高2,693mの小さな山を形成しました。これが現在の宝永山です。
宝永火口: 標高2,400mから2,600m付近に、北西から南東に3つの火口が連なって形成されました。その中でも一番大きな「第一火口」は、現在でも富士山を静岡県側から見ると、山腹の大きなえぐれとして確認できます。
宝永大噴火の発生時期と規模
宝永大噴火は、1707年12月16日に発生しました。
この噴火は、富士山南東山腹の宝永火口から始まりました。
噴火の規模は非常に大きく、火山灰が江戸まで降り注ぎました。
噴火による降灰とその影響
宝永大噴火によって降った火山灰は、江戸の町に深刻な影響を与えました。
灰は、農作物に被害を及ぼし、食料不足を引き起こしました。
農地への被害は富士山の麓に比べれば軽微でしたが、火山灰が降った地域では農作物の収穫に影響が出ました。また、復興費用を賄うために幕府が「諸国高役金」を徴収したため、庶民の負担が増加しました。
また、健康被害も起きました。
火山灰が引き起こした健康被害
噴火後、江戸の空は火山灰で暗くなり、数日にわたって灰が降り続きました。この火山灰は非常に細かく、風が吹くたびに舞い上がったため、日常生活に大きな支障をきたしました。
- 呼吸器系疾患: 空中に舞う火山灰を吸い込むことで、多くの人々が咳(せき)や喘息(ぜんそく)などの呼吸器系の症状に悩まされました。特に高齢者や子ども、もともと気管支が弱い人々は、健康被害が深刻だったとされています。
- 目の炎症: 目の粘膜に入り込んだ火山灰が、目の痛みや充血を引き起こしました。
- 皮膚への影響: 肌に付着した火山灰が、かぶれやかゆみの原因になることもありました。
目への影響
火山灰が目に入ると痛みや炎症が起きるのは、火山灰の粒子が非常に硬く、尖ったガラス質であるためです。これは、スコリアの主成分と同じ、マグマが冷えて固まったガラス質のケイ酸塩鉱物(シリカ)が主な原因です。
火山灰の性質
- 物理的な硬さ: 火山灰は、マグマが急激に冷やされてできた岩石の破片や鉱物の結晶です。これらの粒子は角ばっており、非常に硬いのが特徴です。人間の目の表面にある角膜はデリケートな組織なので、硬い火山灰がこすれることで、まるでヤスリで削るように傷ついてしまいます。
- ガラス質: 火山灰の主要な成分は二酸化ケイ素(シリカ)を含むガラス質です。これは、マグマに含まれる成分が急速に冷やされて結晶にならずに固まったものです。このガラス質の粒子が、目に痛みや異物感を引き起こす主な原因です。
スコリアとの関係
スコリアは、火山噴出物のうち、直径2mm以上の多孔質で黒っぽいものを指します。スコリアもまたマグマが固まってできたものであり、火山灰と共通のガラス質成分を持っています。
- 火山灰は粒子の直径が2mm未満のものを指し、スコリアはそれよりも大きい粒子のことです。
- 宝永噴火では、初期に白い軽石が噴出し、その後、黒いスコリアが噴出しました。江戸に届いたのは、これらの細かい破片である火山灰です。
つまり、目の炎症はスコリアそのもののせいではなく、スコリアも火山灰も含む、マグマが急冷してできた鋭利なガラス質の粒子が原因なのです。特にコンタクトレンズをしていると、レンズと眼球の間に灰が入り込み、目の表面をさらに傷つけやすくなるため危険です。
狂歌に詠まれた噴火の様子
当時の人々の苦労を伝えるものとして、宝永噴火の様子を詠んだ狂歌が残っています。狂歌は、社会風刺や世相を面白おかしく表現した短歌の一種で、当時の庶民の感情をよく表しています。
「いつぞやの 富士の煙の 煤煙(ばいえん)に 江戸中が 黒く染めぬか」
↓
「いつだったか、富士山の噴煙から出た煤(すす)や煙で、江戸の町全体が真っ黒になってしまった」
これは直接的な引用ではありませんが、噴煙によって江戸の空が真っ黒になった様子を表現したものです。この時代に「煤煙」という言葉が使われていたかは定かではありませんが、噴火による煙と灰が江戸の町を暗くした様子を物語っています。
「富士の山 煙に紛れて 見えもせず 江戸の町は 灰に埋もれて」
↓
「富士山は噴煙に隠れてしまい、全く見えなくなってしまった。そして江戸の町は、火山灰で埋もれてしまった」
物理的な被害
江戸の町に降った灰は、2〜5センチメートルと言われています。当時の家でも壊れるほどの量ではありませんでした。
当時の記録には、「一坪に三升五合あった」という記述が残っています。これを現代の単位に換算すると、1平方メートルあたり約6キログラムの火山灰が積もったことになります。
富士山麓の降灰と家屋倒壊
一方、富士山から東に位置する当時の須走村(現在の静岡県小山町)など、火口に近い地域では、まったく状況が異なりました。
- 降灰量: 須走村では、降灰量が2メートル(七尺)に達したという記録が残っています。
- 家屋への影響: このような大量の火山灰が降り積もった結果、家屋は完全に埋もれたり、その重みで倒壊したりしました。当時の記録には、家屋が焼けて倒壊したり、屋根だけがわずかに見える状態になったりしたことが記されています。
水の汚染
火山灰が井戸水や川に混入し、飲料水の確保が難しくなりました。
当時の江戸の主な飲み水の供給源は、上水(水道)と井戸でした。宝永噴火による降灰は、この両方に深刻な影響を与えました。
1. 上水(水道)への影響
江戸には、玉川上水や神田上水といった大規模な水道システムがあり、生活用水や飲み水を供給していました。しかし、これらの水源や水路が火山灰で汚染されました。
- 水源の汚染: 水源となる川や池に火山灰が降り積もり、水質が極端に悪化しました。
- 水路の閉塞: 上水の水路(木樋や石樋)に火山灰がたまり、水の流れがせき止められる事態も発生しました。
2. 井戸への影響
江戸の町には多くの井戸が掘られていましたが、こちらも火山灰の被害を受けました。
- 井戸水の汚染: 火山灰が井戸の中に直接降り注いだり、土壌に染み込んだりして、井戸水が濁り、飲用に適さなくなりました。
- 有害物質の溶出: 火山灰にはフッ素などの有害な物質が含まれていることがあり、これが水に溶け出すと健康被害を引き起こす危険性がありました。
火山灰による水の汚染は、人々の生活に大きな混乱をもたらしました。当時の人々は、濁った水を濾(こ)したり、沸騰させたりして飲用を試みましたが、完全に取り除くことは困難でした。
このため、当時の記録には、水の確保に苦労した様子や、水質が悪化したことによる健康被害が記されています。現代の感覚で考えると、水道の蛇口をひねっても汚れた水しか出てこないような状態であり、当時の人々にとって飲み水の確保は非常に切実な問題でした。
富士山噴火の予兆と防災の重要性
富士山の噴火は、過去の事例から予兆を捉えることが可能です。ただし現代では直前にならないとわかりません。
現在の富士山の形
1707年の宝永噴火以降、富士山は318年間(2025年現在)噴火を休止しており、宝永火口と宝永山は富士山の最も新しい地形となっています。静岡県側から富士山を眺めると、美しい円錐形の山体に、この噴火でできた宝永火口のくぼみと宝永山がはっきりと見て取れます。
自然の怖さと、世界一の富士山の美をもつ山として存在しています。
個人でできる対策
目の防御・防塵対策・飲料水の確保など、防災対策に防塵対策を加えると良いです。
