江戸時代と今の神田
現在の住居表示上は、東京都千代田区神田となっています。
江戸時代の当初、神田というと現在の大手町の平将門首塚付近から神田山(駿河台)にかけての一帯の名称でした。
その後、江戸城の町が広がるにつれて、常盤橋から浅草橋にかけての奥州往還沿いに成立した本町通りの北側地域を指すようになりました。
その神田周辺は、太平洋戦争でも焼けずに残った一帯があります。
それだけに、江戸時代(幕末)・明治から残る名所、名店が多数あります。
サイトでは、そのような場所をできるだけ詳しく紹介したいと思います。
そして、現代(令和6年)の街並みと、一息つける休憩スポットを紹介してゆきます。
神田のいわれ
神田の名前のいわれです。
神の田
伊勢神宮へ初穂を送る神田(みとしろ)があったこと、また真神田臣(まかみたのおみ)が氏神を祀(まつ)って神田明神と称したことに由来すると云われています。
神の田は、江戸だけではなく全国にあったので各地に神田という地名は存在しています。
また、日本の名字(姓)の神田さんも、上記の「神の田」に由来しています。神官や関係する職業、近所に神田があったため苗字とした。と言われています。
江戸の神田の街づくり
職人町としての神田
商工業の同業集団の街並みがありました。今で言う工業団地という感じでしょうか。
江戸時代初期は、城、武家屋敷、他で職人が必要でした。
そのため神田は、全国から職人を呼び寄せて職人町となっていました。
今は、住居表示や石碑であとをしのぶことができます。
どのような職業の人が江戸に集まったのでしょうか。
一例をあげると、鍛冶(かじ)屋、紺屋(こんや)、材木、大工、左官、銀細工、蝋燭など。
こちらで、それぞれの職業については詳しく記載しています。
神田山(今の御茶ノ水付近)を削って、日比谷を埋め立てる
江戸の初期は、今の御茶ノ水駅と東京医科歯科大学の間の神田川の谷もなく、1つの山でした。
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