師走です。寒い日が続きます。
江戸の人々は、現代のように暖房設備も完備しているわけではない中どのように過ごしていたのでしょうか。

江戸の暖房
暖房器具としては、火鉢や炬燵をつかいました。
1.火鉢

燃料
火鉢、炬燵につかう燃料はどうしていたのでしょうか。
※下の写真の木炭(左)または炭団(右)を燃料として使いました。炭団は’たどん’と読みます。

- 木炭
木炭は当時としては高価で、武家や江戸城、裕福な町民が使いました。 - 炭団
庶民は、安価な炭や炭のクズや粉を集めて泥や「ふのり」などで練り、団子のように丸めた「炭団(たどん)」を使いました。
当時は薪は、あまり使われませんでした。
以下のような理由によるものです。
- 火の粉があがる。
- 近くのものに引火する。
- 強風で飛び火する火事となる。
火事を出すとどうなる?
小間10間(約18メートル)以上焼失の場合、火元が10日・20日・30日の押込と定められました。
3町(約327メートル)以上に達した場合は火元以外にも罪が及び、火元の家主・地主・月行事は30日の押込、五人組が20日の押込となりました。
押込とは:一室(自宅)に閉じ込め外部との接触を断つ状態のことです。
町とは:江戸八百八町というように。1つの町(109メートル四方に区切られた)単位のことです。
庶民の住居での寒さ対策
庶民は、長屋に住んでいました。長屋とは、細長いひとつの建物の内部を簡単な壁(板一枚)で仕切り5から12部屋に分割した簡易な建物で、大工や植木などの職人、棒手振りなどで生計を立てる商人など住みました。
家賃は、800文(2万4000円)から1000文(3万円)です。
家の造りはというと、仕切りの壁も家を支える壁も、火消しが火事の延焼を抑える際、撃ち壊せるように板一枚だったので、冬は寒く底冷えのする家でした。床も板1枚で畳などはありません。とても寒く現代人には耐えられないのではと思います。
また、「柏餅で寝る。」という表現がありました。
当時は、庶民には掛け布団はなくて、着るものをかけて寝ていました。その衣類を質入れした時などは、敷き布団の方向を横に直し、半分に折り、その中に自分が(柏餅の餡になって)寝ました。
落語だと、「布団なんてぇもんは、一めぇ(枚)しか持っていやせんから、柏餅みたいにして寝る、ってぇわけです」
江戸城での寒さ対策
江戸城では年間10万俵以上の木炭が使用されました。
寒さと人数、部屋の広さによって火鉢の数を増やしていたそうです。
また、大奥などは部屋が連なり、周辺の部屋は寒いが中心に近づくにつれて寒さは少なくなっていたのではないでしょうか。
食べて乗り切る
寒い中、身体から温めて寝るという方法もありました。
豆腐の鍋料理です。
江戸時代に珪藻土を使った七輪が普及しました。すると、小さな鍋で食材を煮てそのまま食べる「小鍋立て(こなべたて)」という料理が普及しました。
以下のような料理があります。
豆腐料理「雪消飯(ゆきげめし)」や鍋料理「湯やっこ」です。ともに、「江戸・豆腐百珍」にも掲載されています。
雪消飯:温めた豆腐に大根おろしと白米をのせ、出汁をかけた料理。
湯やっこ:煮立たせた葛湯に豆腐を入れた鍋料理。葱や大根おろし、唐辛子のつけだれに付けて味わう。
余談:炭の生産地
天城炭:
江戸城で使用された炭は、八王子周辺、天領 伊豆の天城山林の「天城炭」を使いました。
備長炭:
江戸時代に完成した最高級の炭です。産地は、紀州。
元禄12年(1699)紀州の「備中屋長左衛門」により作られました。備長炭は、火持ちの良さ、火力の強さ、美しさで最高品と言われています。
それでは、今日はこのへんで。

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